東京地方裁判所 平成11年(ワ)12358号 判決
原告 A
右訴訟代理人弁護士 舟橋一夫
被告 B
右訴訟代理人弁護士 笹原桂輔
同 笹原信輔
同 富田寛之
同 岩瀬ひとみ
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求の趣旨
東京法務局所属公証人小林哲郎作成の昭和五九年第三六八八号遺言公正証書は無効であることを確認する。
第二事案の概要
本件は、原告が、その弟である被告に対し、両名の亡母のなした遺言の無効の確認を求めた事案である。
一 争いがない事実
1 亡C(以下「C」という。)と亡D(以下「D」という。)は、夫婦であり、二人の間には、長男E(大正一三年生。以下「E」という。)、次男F(大正一四年生)、三男原告(昭和三年生)、四男被告(昭和八年生)の四名の子供がいた。うち、次男Fは、昭和七年五月二〇日に死亡した。
2 別紙物件目録一ないし六記載の各不動産については、それぞれ、登記簿上、各共有者がそれぞれ以下の割合持分を有しているとの登記がなされていた。
別紙物件目録一記載の土地 C 三分の一
被告 三分の二
別紙物件目録二記載の建物 C 三分の一
被告 三分の二
別紙物件目録三記載の建物 C 八分の一
D 八分の一
E 八分の一
原告 二分の一
被告 八分の一
別紙物件目録四記載の建物 D 二〇〇分の一九九
被告 二〇〇分の一
別紙物件目録五記載の土地 C 一一分の一
D 一一分の四
E 一一分の一
原告 一一分の一
被告 一一分の四
別紙物件目録六記載の建物 C 一〇分の一
D 一〇分の一
E 五分の一
原告 一〇分の三
被告 一〇分の三
3 昭和五五年九月二四日、Cは死亡し、D、E、原告及び被告が相続人となった。
4 昭和五九年六月二二日、Dは、東京法務局所属公証人小林哲郎作成の同年第三六八八号遺言公正証書(以下「本件公正証書遺言」という。)による遺言をした。その内容は、以下のとおりである。
(一) 以下の財産をEに相続させる。
(1) 別紙物件目録五記載の土地のDの持分の三分の一
(2) 別紙物件目録六記載の建物のDの持分の三分の一
(二) 以下の財産を原告に相続させる。
(1) 別紙物件目録四記載の建物のDの持分の二分の一
(2) 別紙物件目録五記載の土地のDの持分の三分の一
(3) 別紙物件目録六記載の建物のDの持分の三分の一
(4) 別紙物件目録八記載の土地の借地権のDの持分全部
(5) 別紙物件目録九記載の土地の借地権のDの持分全部
(三) 以下の財産を被告に相続させる。
(1) 別紙物件目録一記載の土地のDの持分全部
(2) 別紙物件目録二記載の建物のDの持分全部
(3) 別紙物件目録三記載の建物のDの持分全部
(4) 別紙物件目録四記載の建物のDの持分の二分の一
(5) 別紙物件目録五記載の建物のDの持分の三分の一
(6) 別紙物件目録六記載の建物のDの持分の三分の一
(7) 別紙物件目録七記載の土地の借地権のDの持分全部
(四) それ以外のDの財産は相続人において均等に相続させる。
5 平成元年一二月五日、Eが死亡した。
さらに、平成三年九月二三日、Dが死亡し、原告と被告が相続人となった。
6 しかし、その後、原告と被告との間において提起された訴訟の判決によって、別紙物件目録一ないし六記載の各不動産は、いずれもCの死亡時点において同人の単独所有であったことが確定された。
二 原告の請求
本件公正証書遺言は、Dの錯誤によりなされたものである。また、Dは、その後、同遺言に抵触する内容の遺言をしており、これにより本件公正証書遺言は取り消されたものとみなされる。よって、本件公正証書遺言の無効の確認を求める。
三 争点
1 本件遺言がDの錯誤により無効であるか
(一) 原告の主張
本件公正証書遺言は、別紙物件目録一ないし六記載の各不動産がC死亡の時点において前記登記簿の記載のとおりの共有関係にあることを前提になされたものである。しかし、実際は右各不動産はいずれもCがその全部を所有していたのであるから、Dには、右遺言をするについて錯誤があった。
したがって、本件公正証書遺言は無効である。
(二) 被告の主張
争う。
2 本件公正証書遺言がDのその後の遺言により取り消されたものとみなされるか
(一) 原告の主張
Dは、本件公正証書遺言をした後である昭和六二年一〇月一〇日、別紙遺言書写し記載の内容の書かれた自筆証書遺言をなした(以下「本件自筆証書遺言」という。)。その内容は、本件公正証書遺言を全面的に撤回するものである。
したがって、現在においては、本件公正証書遺言は無効である。
被告の強迫の主張は否認ないし争う。
(二) 被告の主張
否認する。
仮に本件自筆証書遺言が作成されていたとしても、これは原告の強迫によるものであるので、被告はこれを取り消す。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 前記のとおり、本件においては、別紙物件目録一ないし六記載の不動産の真実の所有関係は、登記簿上の記載とは異なっていた。そして、Dは、本件公正証書遺言をなすに当たって、その対象となる右各不動産が登記簿の記載に従った持分割合により共有されていることを前提としていたものと推認できる。したがって、Dには、本件公正証書遺言をなすに当たって、その前提事実を誤認しており、動機の錯誤があったものと認められる。
2 そこでさらに、Dの右錯誤が要素の錯誤に当たるかどうかを検討する。
(一) 一般に、要素の錯誤とは、当該錯誤がなかったら、表意者はそのような意思表示をしなかったであろうし、一般の通念に照らしてもそうした意思表示をしないであろうようなものを指す。また、動機の錯誤は、そうした動機が相手方に表示された場合のみ、要素の錯誤となり得る。
しかしながら、遺言の意思表示は相手方のない単独行為であって、取引安全の要請はない。また、遺言の解釈における遺言者の最終的意思の尊重の趣旨からいっても、当該遺言者個人の内心の意図が重視されるべきである。
したがって、遺言における錯誤が要素の錯誤に当たるかどうかの判断においては、あくまでも当該遺言者のみを基準とすれば足り、錯誤がなかった場合に当該意思表示をしたかどうかを一般の通念を基準として検討する必要はないし、また、動機の錯誤においてその動機が表示されていなくても、要素の錯誤と認めることができるものと解すべきである。
(二) もっとも、遺言者の死亡後にその真意を解釈しようとする場合、遺言者自らが錯誤の主張をしているわけではないし、現在その真意を直接確認する方法がないのであるから、遺言者に軽微な前提事実の認識の齟齬が認められたとしても、そうした錯誤がなければ当該遺言がなされなかったはずであると安易に断定することはできない。
しかも、遺言者が既に死亡した状況においては、改めて異なった遺言をし直すことができず、遺言を無効とすれば、遺言が全くない状態に帰することとなるが、それがかえって、錯誤に基づく遺言の効力が維持される状態以上に、遺言者にとって望ましくないものであるということもあり得る。一般に、錯誤無効は表意者自身が主張する意思を有しない場合に第三者がこれを主張することは原則として許されないものとされている(最高裁判所昭和四〇年九月一〇日第二小法廷判決)ことに照らしても、右のような場合に遺言を無効とすることはできない。
したがって、要素の錯誤かどうかは、単に、かかる錯誤がなかったらそうした遺言をしなかったかどうかという観点から判断するのではなく、遺言者が真実の前提事実関係を認識していたならば、当該遺言の効力を維持するよりも、あえて遺言が全くない状態を望んだことが明らかかどうかという観点から判断すべきものと解するのが相当である。
3 そこで、本件についてみてみる。
(一) まず、別紙物件目録一ないし六記載の各不動産について、登記簿上の持分割合を前提に、Cの死亡後の各共有者の共有持分割合を求めると、以下のとおりとなる(昭和五五年法律五一条により改正前の民法九〇〇条により、Dの相続割合は三分の一、E、原告及び被告の相続割合はそれぞれ九分の二)。
別紙物件目録一、二記載の各不動産
D 1/3×1/3=1/9
E、原告 1/3×2/3×1/3=2/27
被告 2/3+1/3×2/3×1/3=20/27
別紙物件目録三記載の建物
D 1/8+1/8×1/3=1/6
E、被告 1/8+1/8×2/9=11/72
原告 1/2+1/8×2/9=19/36
別紙物件目録四記載の建物
D 199/200
被告 1/200
別紙物件目録五記載の土地
D 4/11+1/11×1/3=13/33
E、原告 1/11+1/11×2/9=11/99
被告 4/11+1/11×2/9=38/99
別紙物件目録六記載の建物
D 1/10+1/10×1/3=4/30
E 1/5+1/10×2/9=2/9
原告、被告 3/10+1/10×2/9=29/90
(二) そして、右の持分割合を前提として、本件公正証書遺言の定めに従って相続がなされたとすると、その結果、E、原告、被告が保有するに至る不動産上の権利の持分は、それぞれ以下のとおりとなる。
(1) Eの持分
別紙物件目録一、二記載の各不動産 2/27
別紙物件目録三記載の建物 11/72
別紙物件目録五記載の土地
11/99+13/33×1/3=8/33
別紙物件目録六記載の建物
2/9+4/30×1/3=8/30
(2) 原告の持分
別紙物件目録一、二記載の各不動産 2/27
別紙物件目録三記載の建物 19/36
別紙物件目録四記載の建物
199/200×1/2=199/400
別紙物件目録五記載の土地
11/99+13/33×1/3=8/33
別紙物件目録六記載の建物
29/90+4/30×1/3=11/30
別紙物件目録八、九記載の各土地の借地権のDの持分全部
(3) 被告の持分
別紙物件目録一、二記載の各不動産
20/27+1/9=23/27
別紙物件目録三記載の建物
11/72+1/6=23/72
別紙物件目録四記載の建物
1/200+199/200×1/2=201/400
別紙物件目録五記載の土地
38/99+13/33×1/3=51/99
別紙物件目録六記載の建物
29/90+4/30×1/3=11/30
別紙物件目録七記載の土地の借地権のDの持分全部
(三) しかし、前記のとおり、別紙物件目録一ないし六記載の各不動産は、実際はすべて、元Cの単独所有であった。これによれば、Cの死亡後、相続により、右各不動産すべてについて、Dは三分の一の持分を、E、原告及び被告はそれぞれ九分の二の持分を、有するに至ったものである。
このことを前提として、本件公正証書遺言の定めに従って相続がなされたとすると、その結果、E、原告、被告が保有するに至る右各不動産の持分は、それぞれ以下のとおりとなる。
(1) Eの持分
別紙物件目録一ないし四記載の各不動産 2/9
別紙物件目録五、六記載の各不動産
2/9+1/3×1/3=1/3
(2) 原告の持分
別紙物件目録一ないし三記載の各不動産 2/9
別紙物件目録四記載の建物
2/9+1/3×1/2=7/18
別紙物件目録五、六記載の各不動産
2/9+1/3×1/3=1/3
(3) 被告の持分
別紙物件目録一ないし三記載の各不動産
2/9+1/3=5/9
別紙物件目録四記載の建物
2/9+1/3×1/2=7/18
別紙物件目録五、六記載の各不動産
2/9+1/3×1/3=1/3
別紙物件目録八、九記載の土地の各土地の借地権のDの持分全部
(四) 以上、登記簿上の持分割合を前提とした場合と、真実の権利関係を前提とした場合のそれぞれについて、本件公正証書遺言の定めを適用した場合の各不動産についての権利の持分割合をまとめると、別表のとおりとなる(ここで、(一)ないし(六)は、別紙物件目録一ないし六記載の各不動産の所有権を、(七)ないし(九)は、別紙物件目録七ないし九記載の土地の借地権についてのDの持分を示す。)。
4 そこで検討するに、右によれば、真実の権利関係を前提として本件公正証書遺言の定めを適用した場合、登記簿上の記載を前提とした場合と比較して、生じる持分割合が異なってくることは確かであるが、それぞれの不動産について各共有者の持分に多寡が生じるようになされた配慮は、なお、ある程度、反映されているものといえる。
これに対し、真実の権利関係を前提に、本件公正証書遺言の定めを適用しないとすると、右各不動産のすべてについて、これに係る権利の持分割合は、E、原告及び被告がそれぞれ三分の一ずつとなる(2/9+1/3×1/3)。
そうすると、真実の権利関係を前提として本件公正証書遺言の定めを適用した場合の方が、真実の権利関係を前提として右定めを適用しない場合と比較して、より遺言者の意図(登記簿上の記載を前提として本件公正証書遺言の定めを適用した場合)に近い結果になるとも考えられ、少なくとも、後者の方が遺言者の真意に近いことが明らかであるとは到底いえない。
右によれば、Dが右各不動産についての真実の権利関係を知っていたならば、本件公正証書遺言の効力を維持するよりもあえてその効力を全く否定されることを望んだであろうことが明らかであるとはいえず、本件におけるDの動機の錯誤は、要素の錯誤とは認められない。
よって、原告の錯誤の主張には理由がない。
二 争点2について
1 本件訴訟においては、本件自筆証書遺言の原本は提出されておらず、原告側からそのコピーが証拠として提出されている(甲三。以下「本件コピー」という。)。
そして、原告は、これは、原告がDから託された段ボール箱の中から、Dの死後、その遺品に混じって発見されたもので、原本は見当たらないという(甲八、九、原告本人)。
しかるところ、本件コピーと本件に提出されているその他のDの自筆の文書(乙八ないし一一、一三、四〇、五八、六五)との対照から、本件自筆証書遺言の筆跡はDのものであることが認められ、これによれば、Dはかかる文面を書いたことがあることは認めることができる。
そして、本件コピーによれば、本件自筆証書遺言は民法所定の自筆遺言の記載要件を満たしていたことが認められる。
2 本件コピーによれば、本件自筆証書遺言の内容は別紙遺言書写しのとおりであり、E夫婦の不正行為や被告のDに対する暴力行為を非難してその反省を求め、自らの遺産をすべて原告に相続させるとするものである。また、その日付は、本件公正証書遺言がなされた後である昭和六二年一〇月一〇日となっている。
右内容は、本件公正証書遺言の内容に全面的に抵触するものであり、これを撤回するものであるといえる。
3 しかしながら、本件においては、本件自筆証書遺言の原本が現存することをうかがわせる証拠はない。本件コピーによれば、その原本が一旦は作成されたことが認められるものの、原告のみならず、被告やその他の第三者まで含め、右原本の存在を見聞きしたことを述べる者はなく、また、本件自筆証書遺言を作成したことを示すようなDの言動があったこともうかがわれない。
そして、原告は、「昭和六三年夏ころ、Dがやってきて、段ボール箱を渡し、『大切な財産だから預かって。』と頼むのでこれを預かった。右段ボール箱は封がしておらず、Dの死後、その中身をあらためたところ、Dの預金通帳や多くの雑多な書面の写し等が乱雑に入っていたが、その中から本件コピーが発見された。」と述べる(甲八、九、原告本人)。
しかし、右のとおり、Dがあえて原本ではなくそのコピーを原告に託したのだとすると、その時点で既に原本は破棄されていた可能性も小さくない。そうでなくとも、その後現在に至るまで右原本が存在していることが全くうかがわれないことに照らすと、いつの時点かにおいて右原本は破棄された可能性はかなり高い。そして、Dが自ら故意に破棄をした場合はもちろん、そうでなくとも、原本が棄損されたことを知りながらこれをそのまま放置していたのであれば、自ら破棄した場合と同様、本件自筆証書遺言は撤回されたものとみなされ(民法一〇二四条)、これにより、本件自筆証書遺言による本件公正証書遺言の撤回の効果は消滅するものと解される(すなわち、このように第一遺言を撤回する旨の第二遺言の遺言書が破棄された場合には、民法一〇二五条本文は適用されないものと解すべきである。)。
そして、さらに翻って考えるならば、以上にみたような原本や本件コピーの保管状況を考えると、Dが真実、かかる遺言をなすことについての確定的な意思をもって本件自筆証書遺言をしたかどうかにも、なお相当の疑いが残るものといわざるを得ない。
以上によれば、本件コピーの存在によっても本件自筆証書遺言が有効に成立したことを認めるには足りない。
さらに、原告は、昭和六〇年以降、被告はDに暴力を振るったりDが経営する保育園の業務の妨害をしたりしてきた、と供述するが(原告本人)、そうした事実が存在したとしてもなお、本件自筆証書遺言の有効な成立を裏付けるには十分とはいえない。
4 したがって、原告の本件自筆証書遺言による本件公正証書遺言の撤回の主張には理由がない。
三 以上のとおり、原告が主張する本件公正証書遺言の無効原因は、いずれも認められない。
(裁判官 内田博久)
別表・別紙<省略>